裁判員制度の導入は、「司法は国民のもの」という視点からあ、大いに歓迎 されるべきものです。しかし、その実現の過程においてはクリアしなければ ならない問題が数多く残されています。 とりわけ、わたしが指摘したい点は、社会全体の対応と個々人における対応 のふたつです。 この点について、参審制と陪審制という違いはあるものの、米国の現状との 比較によって検証を試みたいと思います。 たとえば、仕事の打ち合わせで取引先に電話をいれた際「彼は、Jury Duty (陪審員の役務)で出社しておりません。代わりに○○が引き継ぎます」と いった応答が返ってくることがあります。 米国では、こうしたことはときとしてあり、社会全体が制度をバックアップ するようなしくみになっているのです。 はたして、日本の企業がこのような制度をどこまで受け入れることができる でしょうか。 また、個人においては、隣人とのトラブルを禍根なく解決するために訴訟を 利用する国民性と、隣人といさかいなく暮らすために多少のトラブルには目 をつぶってしまう国民性(ときにはこのことが人間関係を円滑にすることも あるのですが)との違いはおおきなものがあるように、わたしには思えます。 裁判や訴訟、あるいは司法への親近感をどのように育んでいくのかも極めて 重要なポイントです。 くわえて言えば、教育の場において司法への理解をより深めるカリキュラム が組まれることとに、自由に意見を述べあい結論を導くというシミュレーシ ョンを日常的に行なうための手をどう打つかなど、裁判員制度の導入は、多 くの課題をわたしたちに投げかけているのではないでしょうか。 ※この記事は、ある地方紙に掲載されたわたしの原稿に加筆修正をくわえた ものです。(オリジナルの掲載日:2004.02.29) ※映画「12人の怒れる男」より ■監督:シドニー・ルメット ■初公開:1957 ■出演:ヘンリー・フォンダ、リー・J・コップ、ほか
by revenouveau
| 2005-06-07 16:06
| 所感のようなもの
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