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紙の子守歌   (39)



 坂道をいくと、竹やぶをすぎたところで春恵が待っていた。
「もう、おすみですか」
「はい。勝次さんの簀編みの腕はさすがです。もちろん、奥さんのちから
も必要でしょうが、みごとなものです」
「ええ、おかあさんがいなければ、あんなに巧くいきません。まるで、ふ
たりでひとりのようになって編んでいくのですから、私もそばで見ていて
ふしぎなようです」
「ほんとうに仲のいいご両親で、春恵さんも幸せです」
「幸せ…」
 問いかえすような春恵の言葉には、微妙なひびきがあった。
「松野さん、お時間があれば、花を褒めにいきませんか。きっと、芝川の
桜も満開だと思います」
 松野は、富士宮の山をおりたところで、桜の古木が、たいそうたくさん
の花をつけていたのを思いだした。二羽の紋白蝶をみたすぐあとだった。
「はい。きれいなひとと花を褒めにいくなど、めったにないことです。よ
ろこんでお伴しましょう」
 まあ、と春恵は、袂をひろって松野をたたくふりをすると、こばしりに
坂道をくだっていった。
 春恵が足をとめたのは、葉蔵につれられて、松野がはじめて勝次の家を
訪ねた日、三人が顔をあわせたあたりだった。
 河原におりるとき、松野が、二、三歩さきだったゆき、春恵に手をさし
だした。春恵は、河原におりるのは慣れていたが、それにかるく指をのせ
た。わかい男の手にふれるなど、はじめてだった。背中のあたりに妙な感
じがあった。
 河原におりて対岸に目をやると、土手のうえに桜が三本ならんでいた。
いずれの幹も、子どもがひとり腕をまわせるほどの太さである。河原には、
ふたりのほかにだれもいない。すこしはなれたところから土手沿いに川柳
がずっと植えてあり、春の川面にゆらゆらと、やさしい情趣をうつしてい
た。

                           (つづく)

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「紙の子守歌」は、毎週月曜日・木曜日(平日)に掲載します。

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by revenouveau | 2007-01-29 09:31 | 小説のようなもの
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