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紙の子守歌   (16)



 いつのまにはきかえたのか、松野の足もとは、紺足袋にかわっていた。
蝉籠の花にどれだけ見惚れていたのだろうか、山並は、考えてみた。
 こたえはしない鷺草のちいさな白が、矢場をぬけていく風にゆられて
いる。
「ちいさなころから、弓をやられているそうで…。奥さまから伺いまし
た」
「道楽もこれだけ長くやると、なかなかやめられません」
「いや、そんなことはないでしょう。私は、弓は素人ですが、先ほどの
稽古を拝見していて、心に感じるものがありました」
 そうですか、と松野は、顔をくずした。そこには、ひとの心をゆたか
にさせる表情がかくれていた。はじめて目と目を交わしたとき、生粋の
職人である社長の眼に通じるものがあると思ったことは間違いなかった、
と山並は感じた。
「矢場、というのですか、こういう場をご自分の敷地内におもちの方は、
弓をなさる方のなかでもそう多くはないでしょう。それを考えても、と
ても道楽とは思えません」
「この矢場は、父がこしらえたものです。とうぜん雨風にさらされれば、
いたみがでますので、途中で修繕はしましたが、もとのかたちは私が生
まれるまえからありました」
 そういわれて、山並は、戸口、板の間、板壁、的場とぐるりをみまわ
してみた。矢場には、たしかに過去と伝統があった。
「そうしますと、弓は、お父さまから習われたのですか」
「弓をはじめるきっかけは、たしかに父でした。しかし、弓の師匠は別
におり、父の手伝いをしていた坂本葉蔵というひとが、私に弓を教えて
くれたのです」
 葉蔵さんは、弓の名人であったと同時に、私の紙漉きの師匠でもあり
ました、と松野はいった。興津川をさかのぼった和田島というところで、
紙を漉いていたが、弓の腕前を松野の父に見込まれて富士宮に移ってき
たのだという。和田島といえば、安倍川、興津川、富士川にそって発達
した駿河和紙のなかでも全国各地に流通した質の高いもののひとつだっ
た、とも松野はいった。
「弓の名人と紙漉きの師匠、そこになにか関係があるのでしょうか」
「さて、どうでしょう。私は、それを呼吸であると感じましたが…。そ
うしたことは、肌でとらえるしかないのです。じつは、私が勝手にそれ
らを結びつけているだけなのかもしれませんし、深いところで観た場合
には、すべてのものが繋がっているようにも思えるのです。なにか説明
のしようもなくて、もうしわけありません」

                           (つづく)

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「紙の子守歌」は、毎週月曜日・木曜日(平日)に掲載します。

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by revenouveau | 2006-10-26 09:28 | 小説のようなもの
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