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め き き   (10)



 真野は年にいちどは店を訪うが、ふだんは手紙だけですませていた。
「主人は、わたしの顔を見ても、すぐにはだれなのか思いださないのだ。
まあ、こっちも、しょっちゅう顔をだすわけではないから仕方ないが…。
しかし、足を見せると、ああ、あなたでしたか、となる。そうして、わ
たしの型紙を奥の間の抽き出しから選ってくるわけだ。あれも職人芸と
いうのだろう。たいしたものだ」
 足袋のほころびに目をやって、繕えばまだ履ける、つぎに行くときに
もっていこう、と真野は足袋をふところにしまった。
「こわれたら捨てる。そんな考えが近ごろは多くなったがどうしたもの
だろうな。だが、ことによっては、あえてこわさなければならないもの
もあるだろう」
 くどいようだが、あのことはよく考えてみることだ、と真野はいい、
背中を見せ、手をあげると〈蔵屋〉をでていった。貝の口に結んだ真野
の帯が、こちらをにらんでいるように見える。ええ、と保雄は、生返事
になった。

                           (つづく)

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「めきき」は、毎週月曜日・木曜日(平日)に掲載します。

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by revenouveau | 2006-05-11 09:18 | 小説のようなもの
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