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う つ わ   (13)



 源造は、ゆっくり立ち上がり、射場の縁先に歩をすすめ、こちらへ、
と幸一をうながした。
 ここは、師弟の、心と心の、打ち合いの道場である。源造は、幸一に、
なんとしても勇気をあたえてやりたかった。
「この竹林を見るがいい。それぞれが、すっと、まっすぐ空にむかって
のびている。じつに、のびのびと美しい。このしなやかなつよさは、ど
こから生まれるのか。わたしは考えてみた。このちからのもとは、土の
中にあるのではないかと。目に見えない根っこのところで、竹はしっか
りとつながっている。人間もおなじだ。いつまでも、なれあい、もたれ
あって生きているわけにはいかない。ひとり立ちしたものどうしが、し
っかりと心でつながっていく。それほどつよいものはない。おまえも、
そろそろ自分の足で立つときだ。わたしの中には、いつもおまえがいる。
目には見えないが、心と心を結びあわせていけば、なにもおそれること
はない。多くの人と、心を結んだだけ、自分がおおきくなれる。人間は、
どこにいても、ひとりぼっちではない。安心して立つがいい」
「ぼくに、できるでしょうか」
「できるかどうか、迷っているうちは、できるものなどひとつもありは
しない。それをやり遂げるしかないと、心をさだめることが勝負のきめ
どころだ。ゆれる心に翻弄され、負けていては、ちいさな人間になって
しまう」
「はい、…」
「この天城は、峠というだけあって、昔から、なかなかの難所でもある。
それは、おまえも知っているだろう。しかし、人は、ここを越えて行き
来してきた。そこには、出会いもあり、よろこびもある。越えれば、足
は鍛えられる。鍛えれば鍛えただけ、おおきな峠を越えることができる。
目の前の苦労をさけてはだめだ。困難という峠を、どんなことがあって
も越えることだ。高みにのぼれば、自分が見えてくる。もっと広い人生
が見えてくるものだ。海よりも広く、深い人生が」
 源造は、道具をならべた棚へと歩みよっていった。ひと張の弓を手に
とり、ていねいに更紗の袋にそれをおさめると、きびすをかえし、幸一
のところへもどった。
「これを、もっていけ」
 弓が幸一の前にさしだされた。それは、源造の家の家宝ともいわれる
ものだと、幸一は知っていた。
「これは、先生のいちばんだいじな…」
「だいじなものだからこそ、おまえにやるのだ。わたしたちは、どこに
いようと、心の深いところでつながっている。おまえが使うのは、わた
しが使うのとおなじことだ」
 幸一には、源造の心がいたいほどうれしかった。

                           (つづく)

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「うつわ」は、毎週月曜・木曜日(平日)に掲載します。

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by revenouveau | 2006-03-02 09:17 | 小説のようなもの
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