そのとき、松野夫人が煎茶を盆にのせて、紙漉き場にはいってきた。 松野は、紙床の脇にある二畳ほどの板の間へ山並を案内し、縁を手ぬ ぐいではらいながら、あてる座布団もありませんがどうぞ、と先に腰を おろした。夫人は、山並に会釈し、松野に目礼すると、盆をもちさがっ ていった。 ふたりは、煎茶を一服した。ほしいと思ったとき、思ったものがそこ にある。煎茶を喫しながら、山並は、そんな雰囲気を感じていた。長年 つれそった夫婦の間合いなのか…。話しが一段落するのを見計らってい たのだろう。夫人の気づかいがうれしかった。 「ところで、松野さん。あの棚のうえの桐の箱はなんでしょうか」 山並は、いままで気になっていながら、きっかけがなくて言いだせな かったことを口にした。 棚には、よくつかい込まれた刷毛や細かな道具、ひかえの簀桁などが 整然とならべられていた。そのいちばんうえの段に、すこし場違いな感 じで、桐の箱がおかれている。おおきさは、乱れ箱より、いくぶんおお きいくらいだった。 松野は、瞬間とおくを見るような目になったが、すぐに頬をゆるめた。 「どうしたわけでしょう、山並さん。あなたには、なんでも話してしま いそうです」 そういいながら、松野は、棚のところに歩みより、桐箱をおろした。 そうとうその場におかれていたらしいのに、埃ひとつたたなかった。松 野は、板の間にもどると、桐箱のふたをあけてみせた。 「萱と馬の尾毛でつくった簀桁です」 (つづく) 「紙の子守歌」は、毎週月曜日・木曜日(平日)に掲載します。 << よろしければクリックを
by revenouveau
| 2006-12-14 09:53
| 小説のようなもの
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