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紙の子守歌   (30)



 そのとき、松野夫人が煎茶を盆にのせて、紙漉き場にはいってきた。
 松野は、紙床の脇にある二畳ほどの板の間へ山並を案内し、縁を手ぬ
ぐいではらいながら、あてる座布団もありませんがどうぞ、と先に腰を
おろした。夫人は、山並に会釈し、松野に目礼すると、盆をもちさがっ
ていった。
 ふたりは、煎茶を一服した。ほしいと思ったとき、思ったものがそこ
にある。煎茶を喫しながら、山並は、そんな雰囲気を感じていた。長年
つれそった夫婦の間合いなのか…。話しが一段落するのを見計らってい
たのだろう。夫人の気づかいがうれしかった。
「ところで、松野さん。あの棚のうえの桐の箱はなんでしょうか」
 山並は、いままで気になっていながら、きっかけがなくて言いだせな
かったことを口にした。
 棚には、よくつかい込まれた刷毛や細かな道具、ひかえの簀桁などが
整然とならべられていた。そのいちばんうえの段に、すこし場違いな感
じで、桐の箱がおかれている。おおきさは、乱れ箱より、いくぶんおお
きいくらいだった。
 松野は、瞬間とおくを見るような目になったが、すぐに頬をゆるめた。
「どうしたわけでしょう、山並さん。あなたには、なんでも話してしま
いそうです」
 そういいながら、松野は、棚のところに歩みより、桐箱をおろした。
そうとうその場におかれていたらしいのに、埃ひとつたたなかった。松
野は、板の間にもどると、桐箱のふたをあけてみせた。
「萱と馬の尾毛でつくった簀桁です」

                           (つづく)

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「紙の子守歌」は、毎週月曜日・木曜日(平日)に掲載します。

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by revenouveau | 2006-12-14 09:53 | 小説のようなもの
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