半月ほどたったある日、松野の漉き舟はできあがった。 台をつかわなくてもすむように、高さだけが低くなっていた。あとは、 葉蔵のつかっているのとかわりない。簀桁も、葉蔵がかつてつかってい たものが据えてあった。弓の稽古もそうだったが、紙漉きも、松野を、 一人前としてあつかった。それが葉蔵のやり方だった。 弓の稽古がおわると、紙漉き場で紙を漉く。十二歳の松野は、葉蔵が 漉くのを横目にみながら、なんどもなんども繰りかえして漉いた。さっ きまで弓を引きわけていた腕が痛くなってくる。子どもの遊びとは思え ない。葉蔵は、徳之介から泰昭に紙漉きを仕込んでほしいと頼まれたわ けではなかった。 「泰昭さん、もうそろそろおわりにしましょう」 葉蔵が声をかけても、松野は、道具をしまおうとしないこともあった。 この執念のようなものはどこからくるのだろう、葉蔵は、考えるともな く考えていた。 紙漉きの腕をあげるのは、どちらかといえば、弓よりもはやかったと いえる。葉蔵が、これならつかえるでしょうと松野の紙を認めたのは、 ちょうど並鉾の弓を引きわけられるようになった十五の歳だった。 「葉蔵さん、みて。紙の子どもが、行儀よく寝てくれたよ」 「けっこうです。いい紙ができました。どうです、泰昭さん、おかあさ んの気持ちがわかりましたか。おかあさんは、たいへんです。感謝を忘 れないでください」 頬をほころばせた松野の顔には、どこか、おとなびたものがあらわれ ていた。 「紙の子どもですか。はじめてきく言葉ですが、言いえて妙です」 山並は、松野の語る言葉に相槌をうった。 「葉蔵さんの話しをきいてから、わたしは、自分でつくった子守歌のよ うなものを胸のうちでうたいながら紙を漉いたものです」 たしかに紙の子どもとはおもしろい言い方でした。松野は、そういい ながら言葉をついだ。 「紙を漉くことができたよろこびも束の間、そのあとすぐに母が亡くな りました。眠るように逝ってしまって、なにかあっけないようでした。 おかあさんに感謝しなさいといった葉蔵さんの言葉も、ふしぎな暗示の ように思えなくもありません。紙の子どもというとき、きまって母の姿 がいっしょに思いおこされるのです」 松野の顔には、かなしみというよりも、静かでやわらかな表情がうか んでいた。山並は、松野の母のやさしさが、自分の胸のなかにまで流れ こんできるような思いがした。 (つづく) 「紙の子守歌」は、毎週月曜日・木曜日(平日)に掲載します。 << よろしければクリックを
by revenouveau
| 2006-12-11 10:09
| 小説のようなもの
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