戦争のために子どもたちを養成する、こうした訓練所は、富士本道場 だけではなく、全国のいたるところにあった。 「しかし、私は、戦地にたつまえに玉音放送をききました。敗戦です。 そして、昭和二十年の十一月には、GHQから〈武道廃止令〉がだされ、 弓の稽古もままならなくなりました」 そういいながら、松野は、ゆがけをつくる職人をたずねて焼津の小川 というまちへでかけたときのことを思いだしていた。それは、〈武道廃 止令〉がとかれてまもないころだった。 ゆがけは、弓の弦を引くときに右手につける鹿革でできた道具である。 かつて中国では、弓を引くとき、弦が親指からにげないように指ぬきを はめてつかった。指ぬきの原型は、奈良時代に日本へ伝わり、現在でも 正倉院御物のなかにみることができる。そして、それはときを経て、ゆ がけ、という日本独自のかたちに洗練されていった。 ゆがけ師は、戦後の数年間がいちばん苦しい時代だった、と当時をふ りかえった。武道が廃止されたのだから、とうぜんのごとく、ゆがけを つくることはできない。そうしたなか、ゆがけ師は、財布や手袋、野球 のグローブなどの製作や修理で、ようやくその期間をしのいでいたのだ、 と語ったという。 松野の顔には、苦渋の色がうかんでいた。 「戦争をはじめたことも愚かですが、戦争に負けたことで、そんな日が やってくるとは、私には、思いもよりませんでした。剣道や柔道もおな じ道をたどったのでしょう。かなしいことでした。ようやくふだんの稽 古ができるようになり、ちまたでも武道が活気をとりもどすようになっ たのは、昭和の二十七、八年ころだったと思います」 山並は、戦後に生まれた世代だったが、自分たちの歴史のなかに、そ うした時代があったことを、知ろうともしなかったし、教えられもしな かったことを思った。 (つづく) 「紙の子守歌」は、毎週月曜日・木曜日(平日)に掲載します。 << よろしければクリックを
by revenouveau
| 2006-11-09 09:42
| 小説のようなもの
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