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紙の子守歌   (20)



 戦争のために子どもたちを養成する、こうした訓練所は、富士本道場
だけではなく、全国のいたるところにあった。
「しかし、私は、戦地にたつまえに玉音放送をききました。敗戦です。
そして、昭和二十年の十一月には、GHQから〈武道廃止令〉がだされ、
弓の稽古もままならなくなりました」
 そういいながら、松野は、ゆがけをつくる職人をたずねて焼津の小川
というまちへでかけたときのことを思いだしていた。それは、〈武道廃
止令〉がとかれてまもないころだった。
 ゆがけは、弓の弦を引くときに右手につける鹿革でできた道具である。
かつて中国では、弓を引くとき、弦が親指からにげないように指ぬきを
はめてつかった。指ぬきの原型は、奈良時代に日本へ伝わり、現在でも
正倉院御物のなかにみることができる。そして、それはときを経て、ゆ
がけ、という日本独自のかたちに洗練されていった。
 ゆがけ師は、戦後の数年間がいちばん苦しい時代だった、と当時をふ
りかえった。武道が廃止されたのだから、とうぜんのごとく、ゆがけを
つくることはできない。そうしたなか、ゆがけ師は、財布や手袋、野球
のグローブなどの製作や修理で、ようやくその期間をしのいでいたのだ、
と語ったという。
 松野の顔には、苦渋の色がうかんでいた。
「戦争をはじめたことも愚かですが、戦争に負けたことで、そんな日が
やってくるとは、私には、思いもよりませんでした。剣道や柔道もおな
じ道をたどったのでしょう。かなしいことでした。ようやくふだんの稽
古ができるようになり、ちまたでも武道が活気をとりもどすようになっ
たのは、昭和の二十七、八年ころだったと思います」
 山並は、戦後に生まれた世代だったが、自分たちの歴史のなかに、そ
うした時代があったことを、知ろうともしなかったし、教えられもしな
かったことを思った。

                           (つづく)

紙の子守歌   (20)_d0063999_9404486.jpg




「紙の子守歌」は、毎週月曜日・木曜日(平日)に掲載します。

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by revenouveau | 2006-11-09 09:42 | 小説のようなもの
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