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紙の子守歌   (5)



 春のある日、山並は、社長室に呼ばれた。そこは、部屋というよりも
コーナーといった感じで、総務課と宣伝課のあるフロアの一角を移動式
の衝立てで仕切ったものだった。
「なにか、ご用でしょうか」
 古民具の図録に目をとおしていた社長は、顔をあげた。机のうえには、
ほかにも民具に関する本が何冊か積まれていた。
「山並さん、忙しいのに申しわけない」
 社長は、山並より十歳ほど年長だったが、生っ粋の職人らしく、だれ
にでも腰がひくかった。ひとに横柄で頑固ぶっている職人面をした人間
がなによりも嫌いだった。そんな半端なものを彼は職人と認めていない。
いまでも、現場の人手が足りないと聞けば道具をかついででかけていく。
お客さんが求めてくれるなら、どこへでもいく、一生修業だ。それが口
ぐせだった。
「ひとつ、聞いてもいいだろうか」
「なんでしょうか。いや、待ってください。なにをお聞きになりたいの
か当ててみましょう」
「さて、当たるかな」
 山並と社長との、いつもの呼吸だった。
「〈住まいの博物館〉のことでしょうか」
 山並は、近ごろ気になっていたことを口にしたが、机のうえに開かれ
た図録にちらと目をやると、社長の言葉をさえぎって、話しを継いだ。
「いやいや、もっと、なにか新しいことでしょう」
「山並さんも、わが社の台所は知っているでしょう。元手もなしに、新
しいことができますか」
「社長なら、やるでしょう」
 いやまいったな、と社長はひとのよさそうな赤ら顔をくずして頭をか
いた。

                           (つづく)

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「紙の子守歌」は、毎週月曜日・木曜日(平日)に掲載します。

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by revenouveau | 2006-09-19 09:27 | 小説のようなもの
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