春のある日、山並は、社長室に呼ばれた。そこは、部屋というよりも コーナーといった感じで、総務課と宣伝課のあるフロアの一角を移動式 の衝立てで仕切ったものだった。 「なにか、ご用でしょうか」 古民具の図録に目をとおしていた社長は、顔をあげた。机のうえには、 ほかにも民具に関する本が何冊か積まれていた。 「山並さん、忙しいのに申しわけない」 社長は、山並より十歳ほど年長だったが、生っ粋の職人らしく、だれ にでも腰がひくかった。ひとに横柄で頑固ぶっている職人面をした人間 がなによりも嫌いだった。そんな半端なものを彼は職人と認めていない。 いまでも、現場の人手が足りないと聞けば道具をかついででかけていく。 お客さんが求めてくれるなら、どこへでもいく、一生修業だ。それが口 ぐせだった。 「ひとつ、聞いてもいいだろうか」 「なんでしょうか。いや、待ってください。なにをお聞きになりたいの か当ててみましょう」 「さて、当たるかな」 山並と社長との、いつもの呼吸だった。 「〈住まいの博物館〉のことでしょうか」 山並は、近ごろ気になっていたことを口にしたが、机のうえに開かれ た図録にちらと目をやると、社長の言葉をさえぎって、話しを継いだ。 「いやいや、もっと、なにか新しいことでしょう」 「山並さんも、わが社の台所は知っているでしょう。元手もなしに、新 しいことができますか」 「社長なら、やるでしょう」 いやまいったな、と社長はひとのよさそうな赤ら顔をくずして頭をか いた。 (つづく) 「紙の子守歌」は、毎週月曜日・木曜日(平日)に掲載します。 << よろしければクリックを
by revenouveau
| 2006-09-19 09:27
| 小説のようなもの
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