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め き き   (23)



 医者があらわれたとき、真野は、ぼんやりと天井をながめていた。医
者の表情には、すこしばかりの安堵がある。彼は壁ぎわの白いボードに、
かんたんな図を描きながら、いま行なわれたばかりの手術の内容を、真
野に伝えた。
「手おくれではなかったのですが、かなり進行したものでした。冒され
た部分は、すべて取り去りました。こちらも、できるかぎりの手をつく
しましたので…」
 五年をみて再発しなければ完治したと考えてよいでしょう、と五十半
ばの医者は、真野の目をまっすぐ見つめて説明した。
 五分五分か。真野は、そう考えたが、ひとまずは安心した。
 術後の経過はよく、しばらくして静子は退院した。
 あのときは、たいへんだったな。まさか病室から花見をするとは思わ
なかった。そんな軽口が真野の口からでるようになり、ふたつめの桜の
季節をむかえ、そして夏がすぎたころだった。
 沈黙をつづけていた癌が、静子の身体を内側から崩しはじめたのであ
る。かたい岩盤のしたで静かに息をひそめていた伏流水が、やわかかな
層にあたって、一気に噴きだしたようだった。
「苦労をかけます…」
「なにが、苦労なものか。わたしは、もともと仕事がすきなほうではな
いからな。こういうのも、いい気分転換になる。よけいなことを考えず
に、ゆっくり静養しなさい」
 病院は完全看護になっていたにもかかわらず、真野は、まいにちほと
んどベッドの脇にいた。

                           (つづく)

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「めきき」は、毎週月曜日・木曜日(平日)に掲載します。

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by revenouveau | 2006-06-26 19:45 | 小説のようなもの
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