医者があらわれたとき、真野は、ぼんやりと天井をながめていた。医 者の表情には、すこしばかりの安堵がある。彼は壁ぎわの白いボードに、 かんたんな図を描きながら、いま行なわれたばかりの手術の内容を、真 野に伝えた。 「手おくれではなかったのですが、かなり進行したものでした。冒され た部分は、すべて取り去りました。こちらも、できるかぎりの手をつく しましたので…」 五年をみて再発しなければ完治したと考えてよいでしょう、と五十半 ばの医者は、真野の目をまっすぐ見つめて説明した。 五分五分か。真野は、そう考えたが、ひとまずは安心した。 術後の経過はよく、しばらくして静子は退院した。 あのときは、たいへんだったな。まさか病室から花見をするとは思わ なかった。そんな軽口が真野の口からでるようになり、ふたつめの桜の 季節をむかえ、そして夏がすぎたころだった。 沈黙をつづけていた癌が、静子の身体を内側から崩しはじめたのであ る。かたい岩盤のしたで静かに息をひそめていた伏流水が、やわかかな 層にあたって、一気に噴きだしたようだった。 「苦労をかけます…」 「なにが、苦労なものか。わたしは、もともと仕事がすきなほうではな いからな。こういうのも、いい気分転換になる。よけいなことを考えず に、ゆっくり静養しなさい」 病院は完全看護になっていたにもかかわらず、真野は、まいにちほと んどベッドの脇にいた。 (つづく) 「めきき」は、毎週月曜日・木曜日(平日)に掲載します。 << よろしければクリックを
by revenouveau
| 2006-06-26 19:45
| 小説のようなもの
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