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め き き   (22)



 十年ほど前の春のある日、静子は、とつぜん出血した。真野が、沼津
のデパートでひらかれていた中国古陶磁の展覧会にでかけた日だった。
 家に戻ると、妻はふとんも敷かずに畳のうえに横になっていた。暮れ
方なのに燈もつけず、青白い顔が闇のなかにうかんでいる。
「おい、静子! どうした」
「いえ、なんでもありません。こうして横になっていれば、すぐによく
なりますから。大丈夫です」
「馬鹿な! こんな青い顔をして、なにが大丈夫なものか」
 真野は着ていた羽織をぬいで静子にかけると、たっていって救急車を
よんだ。
 病院で、静子は子宮癌と診断された。ふたりのあいだに子がないのは
そのせいだったのか、と真野には思われたが、そうではなかった。
 身体のようすが落ち着くのを待って、三日後に手術が行なわれた。
 静子は麻酔をかけられ、手術室に運ばれた。おおきな扉が口をひらき、
医者の一団と妻が吸い込まれ、手術中のランプが点灯するのを、真野は
祈るような気持ちで見つめていた。だが、なにをどこに祈ってよいのか、
真野にはわからなかった。
 その場に立ちすくんでいる真野を見つけて、ひとりの女性看護師が、
時間がかかりますからどうぞこちらへ、と手術準備室と書かれた部屋へ
案内した。
 静子の手術は、三時間半におよんだ。手術をおえた医者は、真野の待
っている手術準備室へ足を運んだ。

                           (つづく)

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「めきき」は、毎週月曜日・木曜日(平日)に掲載します。

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【さえらメモ】「福智無量」について
前回の文中に「福智無量」とあったことで、何人かの方からコメントを
いただきましたので、ここで解説させていただきます。
もともと、この文言は大乗仏教(とりわけ法華経)の教典に散見される
もので、仏法の信仰によってかぎりない(無量≒無限)福運と智慧とを
得ることができる法理をあらわしたものです。
ふだん着の言葉でいえば、しあわせにあふれ、ゆきづまりのない生活を
おくっている姿といえるかもしれません。
ちなみに、七福神のひとりでもある福禄寿の徳をあらわす言葉としても
この「福智無量」がつかわれることがあります。
by revenouveau | 2006-06-22 09:51 | 小説のようなもの
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