十年ほど前の春のある日、静子は、とつぜん出血した。真野が、沼津 のデパートでひらかれていた中国古陶磁の展覧会にでかけた日だった。 家に戻ると、妻はふとんも敷かずに畳のうえに横になっていた。暮れ 方なのに燈もつけず、青白い顔が闇のなかにうかんでいる。 「おい、静子! どうした」 「いえ、なんでもありません。こうして横になっていれば、すぐによく なりますから。大丈夫です」 「馬鹿な! こんな青い顔をして、なにが大丈夫なものか」 真野は着ていた羽織をぬいで静子にかけると、たっていって救急車を よんだ。 病院で、静子は子宮癌と診断された。ふたりのあいだに子がないのは そのせいだったのか、と真野には思われたが、そうではなかった。 身体のようすが落ち着くのを待って、三日後に手術が行なわれた。 静子は麻酔をかけられ、手術室に運ばれた。おおきな扉が口をひらき、 医者の一団と妻が吸い込まれ、手術中のランプが点灯するのを、真野は 祈るような気持ちで見つめていた。だが、なにをどこに祈ってよいのか、 真野にはわからなかった。 その場に立ちすくんでいる真野を見つけて、ひとりの女性看護師が、 時間がかかりますからどうぞこちらへ、と手術準備室と書かれた部屋へ 案内した。 静子の手術は、三時間半におよんだ。手術をおえた医者は、真野の待 っている手術準備室へ足を運んだ。 (つづく) 「めきき」は、毎週月曜日・木曜日(平日)に掲載します。 << よろしければクリックを 【さえらメモ】「福智無量」について 前回の文中に「福智無量」とあったことで、何人かの方からコメントを いただきましたので、ここで解説させていただきます。 もともと、この文言は大乗仏教(とりわけ法華経)の教典に散見される もので、仏法の信仰によってかぎりない(無量≒無限)福運と智慧とを 得ることができる法理をあらわしたものです。 ふだん着の言葉でいえば、しあわせにあふれ、ゆきづまりのない生活を おくっている姿といえるかもしれません。 ちなみに、七福神のひとりでもある福禄寿の徳をあらわす言葉としても この「福智無量」がつかわれることがあります。
by revenouveau
| 2006-06-22 09:51
| 小説のようなもの
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