幸一は、矢をつがえた弦をゆっくり引きおさめると、呼吸をととのえ、 的を狙った。霞的のまんかなが、はっきりと見えてくる。そのとき、弦 と指とが、ほとんど自然のように解かれていった。 「やったよ! やったよ、源じぃ。はじめは、的が、矢がとどかないほ ど遠くに見えて…。かと思ったら、こんどは、的が、どんどん、おおき くなって…。ぼくの身体がのみこまれていったんだ。もう、そのときは、 はずれる気がしなかったよ」 幸一は、飛びあがってよろこんだ。 源造は、幸一の目を見つめ、深くうなずいた。 「どうなってるんだろう。ねぇ、源じぃ」 「心の持ちようだ」 「こころって?」 「人の心というものは、針の穴よりちいさくもなれば、空よりもおおき くなることもできる。心を、どう用いていくかが問題だ。それは、人間 の、うつわのおおきさによるのだろう。おまえは、いまちょうど、心を 用いる道の入り口にたっている」 源造は、そういって、人の心のふしぎについて、しばらく言葉を連ね ていった。しかし、幸一に、源造のいう真意をくみとることは、むずか しかった。けれども、ふだん口数のすくない源造が、思いのほか多くを 語ったことに、なにかだいじなことがふくまれていることだけは、たし かに感じていた。 天城の冬の朝。はじめて矢をつがえた日を、幸一は、いつまでも忘れ ることはなかった。 (つづく) 「うつわ」は、毎週月曜・木曜日(平日)に掲載します。 << よろしければクリックを
by revenouveau
| 2006-02-13 08:50
| 小説のようなもの
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