(ウイークリーテーマへのTBです)
(「立読のようなもの」にはネタばれがある場合がございます) おとなのひとりとして、この夏、考えてみたいこと。(2) ● あたかも、被虐的な志向をもつかのような、27歳の〈わたし〉。 タクシーの運転手をしながらも、他者との積極的なかかわりをもたないで くらしています。 唯一ともいえる相手は、以前つとめていた会社で知り合った白湯子という 女性。 子どもを死産して以来、不感症になったらしい、かのじょとからだを重ね あわせる〈わたし〉。しごとをさぼって、ビルの4階にある部屋から、空 き缶を落としながら、じぶんでじぶんを落下させる瞬間を思う〈わたし〉。 そんな〈わたし〉は、親に捨てられ、引きとられた遠い親戚の家で壮絶な という言葉以上の虐待をうけ、理不尽な暴力にさらされつづけ、あげくは、 土の中に埋められたという過去をもっていました。 土の中からぬけだし、野犬に襲われた、おさない〈わたし〉は、生まれて はじめて「生きたい」という強い思いにかられます。そうして、九死に一 生を得、施設で育った〈わたし〉なのですが、20代後半になる今もなお、 生の実感がつかめないまま。 しかして、この作品が、物語としてのひろがりと、その先になにがあるの かという読者をひきこむテンションをもつのは、どうしてなのでしょうか。 中村文則さんは、おとなになった〈わたし〉を精神科医に、「恐怖が身体 の一部になるほど侵食し、それにとらえられ、依存の状態になる」と分析 させながら、ここに立脚した、〈わたし〉の単純な心理描写を、あえてし ていません。 つまり、虐待という暴力をうけたものはこうなる、といった単純な図式に 物語を押しこめず、もっと複雑なものとして容認しているところにこそ、 この作品のちからがあるののではないかと思えるのです。 ■著者:中村文則 ■出版社:新潮社 ■価格:税込1260円
by revenouveau
| 2005-08-16 09:26
| 立読のようなもの
|
カテゴリ
以前の記事
2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 2005年 07月 2005年 06月 フォロー中のブログ
おパリな生活 La chambre v... ルナのシネマ缶 パリの空気 ぽいぽい日記 Les Vacances... 友くんのパリ蚤の市散歩 pTedEpaPiLLon* パリでシネマ?! 句・織・亭 その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||